私の息子がこの世に生を受けたとき、厳しいアレルギー反応が特に顔に現れました。
彼が2歳になるまで、その反応が絶え間なく続いたため、彼は外の世界に出ることが稀で、私と一緒に過ごす時間が多くなりました。彼の顔の反応が落ち着いたとき、私たちは彼が食物アレルギーを持っていることを知りました。そのため、彼は特定の食物を避ける必要があり、外食や家族以外の人々と食事を共有する機会はほとんどありませんでした。
彼が近くの子供の遊び場や公園に行くようになったときも、人々がいると彼はあまり遊ぼうとはしませんでした。彼はむしろ、他の子供たちが遊ぶ様子を静かに見ているのが好きだったようです。このような状況の中、息子には妹が生まれ、彼が外出する機会がさらに少なくなりました。しかし、食物アレルギーが徐々に落ち着いてきたため、食物除去の範囲を縮小していくタイミングに合わせ、私たちは彼を保育園に預ける決断をしました。
保育園では、初めての頃は彼は一人で遊ぶことが多かったようですが、次第に友達と関わり始めました。そして、保育園で運動会の練習が始まったとき、息子は日々みんなが体を動かす様子をじっと見つめていました。しかし、ある日突然、息子が踊り始めたのです。そしてそれは完璧で、先生からは彼が毎日静かに見ていたのは、その動きを心に描きながら練習していたからだと教えてくれました。
それまで、彼が公園や子供の遊び場で他の子供たちを見つめているだけだと思っていた私は、彼が実際には自分なりの方法で遊んでいたのだと気づきました。彼が他の人々との接触機会が極端に少なかったことを心配していましたが、彼は自分自身のペースで自己の成長を遂げていたのです。これは、彼が自分だけの方法で新しい環境や状況に対応し、学習し、成長していく方法を示していました。
息子は今、高校生となり、勉強と共に彼自身のペースで生活を進めています。未だに彼が進学を果たせるかは不確かですが、東京大学への道を目指して毎日頑張っています。その姿を見ていると、幼いころの彼が保育園で他の子供たちを静かに観察し、独自の方法で成長していった日々を思い出させてくれます。私は息子の成長を見守り、彼が自分の道を進むことを支え続けていきたいと思っています。
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